FC2ブログ

うらけん日記

あらかた30歳。アラサーの日記。

2011.4.15

 自分はいくら募金したとか、救援物資をどのくらいもって行ったとか、

そういう尺度で今回の件は計れない。。。。どう感じ、どう動けたかが大事かと思います。


IMG_2131のコピー

震災以来、初めて会社に行きませんでした。一休みを利用して、

「山田町」で初めてのボランティア。ここは津波後に、ほぼ街全体が焼失。


恥ずかしい話し、ほとんど今まで参加した記憶が無く、何ができるか

わかりませんでしたが、とにかく参加してみた。

岩手は、受け入れ態勢に問題があるとか無いとか。。。。

県福祉協議会の募集に滑り込みセーフ。

まるで、人気歌手のコンサートのように、すぐ定員になるのだ。


主に、浸水した家屋の泥かきと、瓦礫の撤去お手伝い。

わたしは一日中、道路脇の瓦礫のくみあげをしました。道路幅の拡張の手助け。

焼失している関係上「灰」と、津波によりあげられた「砂」のほこりで、マスクとゴーグルが必須。



「自分にできる事は無いか」という想いから参加し、ボランティアに参加する事で少しは満たされる。。。

と淡い期待もあったが、本当は正反対。

あまりの惨状に「無力感に近いもの」を感じてしまった。

街全体が、むかし教科書でみた「戦後の焼け野原」のようにしか見えなかった。

スコップを持ち、瓦礫をホコリまみれになりながら片付けるが。。。。正直、気が遠くなる。


「がんばろう!東日本!」

「がんばろう!日本!」

が、もの悲しくさえ感じられてしまう現実がまっていたのだった。


それでも少しだけれど、きれいな道路になる様や、お昼休憩に当社の製品を食べてくれている

人をみて、嬉しくなりがんばろうと思え始めた。

途中、DMAT札幌ナンバーの、盤渓~~病院の車輌をみてありがたく感じた。


夕方作業を終えて、役場のほうへ戻ると救援物資の支給に長蛇の列。

並んでいるひとりのおばあちゃんに声をかけられた。


「ありがとうや」

この、一言で全てが救われる想いだった。

 
冒頭で述べた事は、批判ではなくこの震災があまりにも甚大。広大な面積で多数の人が被災しているため

一過性のものではなく、継続的な助けの手を差し伸べてもらいたく書いたところ。

お金も、物資もあまるくらいで丁度いい。

ただ私も、1億寄付したい気持ちはあるけれど持っていない。

じゃあ、資本の体を動かして何らかのお手伝いだけでもする=ボランティアになったのも事実。

岩手県は広いです。四国に匹敵する面積のため盛岡から沿岸まで100Kmあります。

盛岡や近郊で被害が少なかった人は、是非足を運んでワッペン(下の写真)を貼り

一緒に汗を流しましょう。

IMG_2139.jpg

某ショップ、オーナー様急な誘いを快諾ありがとうございます。

日曜日は、そちらで経済活動をしたいと思いますm(_._)m
スポンサーサイト




日記 | コメント:0 | トラックバック:0 |
<<2011.4.17 | HOME | 2011.4.15>>

この記事のコメント

コメントの投稿















コメント非公開の場合はチェック

この記事のトラックバック

| HOME |